[745]  くまさん🐻
01/06 23:17
(ひつまぶしに合うショートストーリー)

「アロンアゲイン」

D
 冬空の下、たとえ原付のおばちゃんと張り合うほどのスピードしか出ずともむき出しの体に受ける風は冷たい。
走り出してほどなくして道路脇にスクーターを止めると、マスターは着ていた革製のライダージャケットを香織に譲り、準備していた登山用ヤッケ・・使い込んで生地が擦れているが・・を着込んで再び北を目指した。
 素直にジャケットを羽織った香織は寒いのかどうか、腕をマスターの体に巻きつけ自分のお腹をマスターの背中にぴったりとくっつけてしがみついた。

 マスターは少し恥ずかしかった。大きなバイクならともかく、原付オートバイに毛が生えた程度のスクーターに乗るには少々大げさに思えるしがみつき方だから。
 だが、恥ずかしい気持ちではあっても、背中全体に伝わってくる香織の体温は、そんな恥ずかしさなどあっと言う間にかき消し、そればかりでなく、今まで経験したことのない何かが沸き起こってくるのを感じていた。

 やがて407号を30分近く走り、ヤマダ電気のある交差点から右の館林方面に曲がると、香織が指定したイオンモールまでは一本道だ。
ここまでは交通量も多く、運転に気を取られていたが、曲がったあたりから建物が低くなり空が広くなったなと思ったら、沸き起こる何かの正体がうっすらと掴め始めていた。
すぐにゆるい左カーブを過ぎた先に東武線を越える陸橋がある。
 陸橋の頂上を通過すると見渡せる景色がいよいよ寂しくなり、車の交通量も少なく、ところどころの田園を流れる冷たい空っ風がトゲのように突き刺してくる。

 肌を刺す風に吹かれていても、心はさっきから満ち足りていた。
もちろん香織の体温が教えてくれた。愛する人が自分の背中にしがみつき、自分は襲ってくる北風を受けてその人を守る、男の持つ本能的な飢えが今満たされているのだ。
幸せの意味をまさに今、理解したと思った。ただひとつの憂いを除いて。

 内ヶ島の交差点から車線は増えるが、住宅はさらに寂しくなって遠くまで視界が広がるとやがて遠景の中にイオンモールの建物が見えてきた。
 もう到着かと思うと、今の幸せ感に強烈な未練が生じた。
喫茶店などという気楽な商売に逃げていたのかもしれない、結婚についても新卒として入社した途端に逆プロポーズされて面食らったおぼえがあった、先輩女子社員だが、いわゆるお局さまで新入社員にツバをつけようとしたのだが、こちらにとってみれば早すぎるプロポーズだった、まだ貯金もない安月給で女房なぞ養えるはずもなく、ほどなく断ると以後女性との関係は皆無となった。

 そして今、若いあの頃も知りえなかった愛というぬくもりに近づいている。
単なるハグなんぞ挨拶みたいなものだろう、そう思っていた、知らなかったのだ。
抱きつかれる行為にこれほどの威力があるとは・・。
離れたくなかったが、目的の場所はすぐ目の前までやってきていた。

 イオンモールの前を通り過ぎ、交差点を右に曲がった場所にその蕎麦屋があった。
分離帯があり、手前の駐車場の向こう側にあるという初めての人間には解りにくい店である。
店の周辺は道路反対側のイオンを除けば緑だけの風景で、田園とこんもりとした樹木の塊だけが目にはいるまさに殺風景な郊外だった。
着いてみれば速かった気がする、まだまだ1時間も2時間も背中に香織の体温を感じていたかった。
この蕎麦屋で決断するかも知れない、マスターは自分にそれを期待した。

最終回につづく (長く引っ張りすぎたかも・・汗)

イイネ!(24) PC ZefMWATJ
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