[963]
くまさん🐻
02/08 15:01
2次小説
美咲香織 原作「道の駅 "雨の休日"」より
「元禄聞きかじり」
”独白” その三・最終回
「アトマシ・シハラマシ・マカシハラマシ・アタンダナマシ・マリシヤマシ・・」
お経はおなじ調子で響き流れて、その中の人々はまるでゆるやかな川の流れに身を任せてるかのように左右に前後に漂っているばかりとなりました。
伽羅の護摩木にあわせて、ジャコウもくべられたようで、小さな火花がぱちぱちと屋根組み近くまで跳ね上がり、薄紫色の煙は離れのみならず、楼全体にたちこめてその幻想世界は一同をまたたくまに包み込んだのでございます。
野獣になりきった男は、お方さまの"女体"が興奮してきて、目を閉じた青い眉と眉のあいだに深い縦じわをきざみ、せつなげな熱い息遣いになっている淫蕩(いんとう)な表情を見きわめてから、"女"の帯に手をかけていったのでございます。
お方さまは、はばかるような言葉を口にされて体を固くされたように見えたのですが、すでに全身の血が甘くしびれておいでで、それをこばみきれるだけの力はなかったようでございました。
その間に帯はたちまちずるずると畳の上にすべり落ちていき、細ひもの一つ一つが体から解きすてられ、貪婪な男はついに最後の布まで剥ぎ取って、そこに脂ののりきった素晴らしい"女"盛りの素肌が白々とした光沢をたたえてあらわにされてきたのでございます。
ここでようやく気がついたのでございます、お方のさまの願いとはもしやこの淫蕩(いんとう)な行為そのことではなかったかと。
若武者時代、香織の方さまは「あいや、蝶の化身か」と言われたほどのお美しい方でございました。
それほどの方でも、将軍さまのお抱えの小姓は百人を越しているのでございますから、御寵愛の期間はいずれのときであったか、それを推し量りますと体の飢えと申しますは隠しようもないところまでいかれたのではと、お可愛そうに感じるのでございます。
子の刻(ねのこく)九つ(12時)ともなれば、猿若町(さるわかちょう)の芝居小屋はもちろん、陰間茶屋(かげまちゃや)に吉原も表の行灯(あんどん)を消して、さしずめ夜の闇に沈み込むころでございましょうが、房中(部屋の中)にあってはそれからが閨房(けいぼう)のあやしげな営みが満開のころとなりまする。
しかしてこの離れでは、焚かれる護摩の赤々とした炎が、開け放たれた雨戸、障子の彼方の大川を月よりも照らし、目の前の閨事(ねやごと)はすでに揺れる炎の灯りにまどろい、妖婦と化したお方のさまのいきいきとみなぎるような素肌をも浮かび上がらせて、野獣はそれを目に焼きつけながらゆっくりとわがものとしていったのでございます。
いつか濃厚な男と女のあやしい体臭は、ジャコウの匂いとともに屋敷にうずまいて立ちこめ、全身で男を受け止めておられるお方のさまは、寄せては返す激浪のような野獣の強烈な愛撫に息つくひまもなく何度か翻弄されつくされ、時にはお方のさま自らが体を開き、男の上に乗られたのを見せられると、わたくしの体の奥もじっとりと濡れていることを告白せずにはおられませんでした。
「サラバサトバナンシャ・サルバタラ・サルババユ・ハダラベイ・ビヤクソワカ」
朗々と響く陀羅尼経の呪文は夜を徹して止むことを知らず、護摩の炎は廊下に控えているわたくしどもも汗ばむほどで、大川をすべり流れてくる夜のそよ風が心地よく、その時だけ自分に戻るほどでございました。
護摩の火のせいばかりではない額の汗をじっとりとにじませながら、果ては息もたえだえにお方のさまはむせび泣きに沈んでいかれたのでございます。
どれほどの時間がすぎましたでありましょう、空が白みはじめ、大川(墨田)の流れが目に見えるようになると、如月とは思えぬ生温かい風とともに、開け放った離れの外に雨がかすかに降り始めたようでございました。
そして、座敷中に花のように散乱していた衣類、帯、細ひもの派手な色彩が手際よくもとの体にまきつけられて、川風の清々しさにお方のさまは何事もなかったかのごとく、ご自分の座にすわっておいでになりました。
頃合いを計られたのか、護摩の炎が阿闍梨さまのまく水滴によって消され、陀羅尼のお経も止まると、
「不動明王さまに煩悩を焼き払っていただき、清らかな願いが成就するための力を授けていただきました」
そうおっしゃって、護摩焚きでお祓いをうけた水をそれぞれの湯のみに注がれて、神秘の儀式は終わったのでございます。
「お方のさま、どうぞこちらへお出でませ」
阿闍梨さまは護摩の台から立ち上がり、庭に面した縁側に腰かけられてお方のさまをお招きになりました。
そぼふる雨は春の到来を予感させて、まだつぼみの梅の木に鳥が二羽、ピーチュルチュルとさえずりをくり返して朝をしらせておりました。
「ご気分はよろしいかな、この熊野坊、全身全霊でお方のさまの煩悩を消し去りましたゆえ、お体も楽になられましょう」
「ありがとうございます、生まれ変わったような清々しさを今味わっているところでございますわ」
「それはよかった、庭の梅にも春告鳥が鳴いておりますな、いよいよ春はそこまで来ておるようで」
「あら、阿闍梨さま、あれは春告鳥の鶯(うぐいす)ではございませんよ、ツガイで仲良くいるのはメジロでございます」
「おお、さようでございましたか、春雨の中で仲睦まじいことでござります」
お方のさまはにっこり微笑み、あの昨夜の出来事なぞなかったかのような爽やかさでございました。
ところで、お方のさまの体を愛撫したあの行者はいったいどこに消えたのか、明るくなった屋敷にそのような人物は見当たらず、不思議なことでございます。
あれはもしや阿闍梨さまの分身であったのでしょうか、それを確かめるすべもございませんが、今、庭を眺めていらっしゃるお二人は、これで繋がりをもたれたとすれば、数百年後のお美しい香織の方さまと熊野坊阿闍梨さまを見てみたいと思うのでございます。
了
イイネ!(21) PC ZefMWATJ
[編集] [削除]
親スレッド
管理